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イブ・サンローランとピエール・ベルジェの、パートナーの絆

20世紀のファッション界で40年にわたってトップデザイナーとして活躍し、「モードの帝王」「色の魔術師」と呼ばれたイブ・サンローラン。彼が癌のため71歳でこの世を去ってから、まもなく3年の歳月が経過する。

200861日。パリのアパルトマンにてその華麗なる生涯に幕を閉じたサンローランは、自らが最も心を許していた二人の人物の腕に抱かれて息を引き取っていったという。

死するサンローランをその腕に抱いていた人物の一人は、元ファッションモデルだった親友のベティ・カルトー。サンローランにとっての彼女は、いわばミューズ(芸術家にインスピレーションを与える女神)的な存在の人物でもあった。

そしてもう一人は、元イブ・サンローラン社会長のピエール・ベルジェ。彼はサンローランの長きにわたるビジネスパートナーであり、さらには50年来の恋人でもあったという人だ。

 

ピエール・ベルジェがイブ・サンローランと出逢ったのは、19582月のこと。10代ですでにその才能を認められた早熟の天才サンローランが、ファッション界の大御所クリスチャン・ディオールの後継者として衝撃的なデビューを飾ったばかりの頃のことだった。

当時のベルジェは26歳の、文学通で知られた雑誌の発行人。ファッションのことを何も知らなかった彼ではあったが、サンローランが手がけたディオール社の初コレクションを目にして、強い衝撃を受ける。その才能に大いに魅せられた彼は、サンローランが将来必ず素晴らしいデザイナーとなることを確信したという。

初コレクションの成功を祝うディナーの席で出会った、21歳の新進デザイナーと26歳の雑誌発行人。二人はたちまち恋に落ち、半年後には共に暮らし始めるようになる。恋という形をもって始まったその関係は、のちの二人の運命を大きく変えたばかりでなく、やがてはヨーロッパの、さらには世界のファッション界の歴史をも大きく変えることとなる。まさにそれは、運命の二人に用意された運命の関係だったといえるだろう。

 

ディオールの若き後継者として彗星のごとく表れ出たサンローランではあったが、やがて彼もまた表現者としての大きな試練というものに直面することとなっていく。

サンローランの斬新なファッション感覚に、優美さを特色としてきたディオール社の幹部たちは難色を示すようになる。そんな中、アルジェリア独立戦争に徴兵されたサンローランは、過大なストレスから神経衰弱に。それが直接の原因となり、ディオール社を解雇されてしまう。

失意の底にあったサンローランに、ベルジェはデザイナーとしての独立を強く勧めた。二人に残された道は自分たちのクチュールハウスを設立することしかない、と説得し、そのための援助を誓う。ファッションビジネスに関してまったくの素人ではあったが、ベルジェはサンローランとのそれを迷うことなく選択したという。

 

ベルジェと共に自身のレーベル「イブ・サンローラン(YSL)」を設立し、活動を開始したサンローランは、やがてパリにブティックをオープン。次々と斬新なデザインのファッションを生み出し、1960年代当時の女性たちから熱い支持を受けるようになっていく。

サンローランの表現世界は、いわば性をも超えたそれだった。男性の正装であるタキシードを女性の夜の服として発表したパンツルックの先駆けや、水兵のユニフォームから派生したPコートや探検家の服装だったサファリルックなど、男性のワードローブから着想を得たデザインを次々と発表していく。

サンローランの生み出した「作品」は、当時の女性たちに大きな力を与えた。女性たちのファッションに対する意識はもちろん、そのライフスタイルまでをも大きく変えていくこととなった。

 

ベルジェからの、公私共に、の支援を得て、サンローランはその才能を大きく開花していった。しかしその一方で、繊細な神経の持ち主であった彼は、表現者ゆえの孤独と仕事に対するプレッシャーに苦しみ、薬物やアルコールに依存するようになっていく。

サンローランがウツ状態に苦しまなかったのは、一年のうち2日だけだった、とベルジェは語る。サンローランの心が解放されるのは、春と秋の2回のコレクションで喝采を浴びる日だけだった、と。そしてその翌日からは再び、最良の「作品」を生み出していくための孤独とプレッシャーの日々が始まった、と・・・

果てることない苦しみからアルコールや薬物に溺れていくサンローランに、ベルジェは忍耐の限界を覚え、別離を考えたことも何度かあったという。しかし彼は、サンローランを守り支えることをどこまでも続けていった。新たなる「作品」創りに没頭し、素晴らしきそれを生み出し続けていくこと――を自らのすべてとせずにはいられぬサンローランの、だからこその深い苦しみを誰よりも深く理解し、それをも愛したベルジェだったのだから。

 

死の6年前の、20021月。イブ・サンローランは自らの意思により、ファッション界からの引退を決意する。

ベルジェが語るところによれば、その引退はサンローランにとってアートであったファッションをビジネスとして捉えられなくなったことからのもの、だったという。サンローランの「作品」を世に出していくことを自らの使命とさえしていたベルジェだが、サンローランのその決意に敬意を払い、そしてそれを尊重する。

引退後のサンローランがファッション界へ戻ることは二度となかった。自らが最も愛したモロッコのマラケシュの別荘で、ベルジェとただ二人きり、静かな日々を送っていったという。公的なパートナーという立場を終え、あくまでも私的なパートナーの関係に戻った二人として・・・

 

イブ・サンローランの死後。50年間を公私共にパートナーでいることの秘訣は?――との質問に、ピエール・ベルジェは以下のように答えている。

「彼(イブ・サンローラン)と共に何かを創ったということでの、50年一緒だったと思う。お互いに見つめあって50年が経ったのではない。彼の才能を充分に頼って、2人でモードの世界を変えていくというプロジェクトがあって2人で頑張ってきた、というところが鍵だと思う」――と。

ベルジュはまた自らの好きな言葉として、フランスの作家サン・テグジュペリによる以下の言葉を挙げている。

「愛するということはお互いを見つめることではなく、一つのゴールを見ること」――を。

そしてさらに、表現者サンローランについてこんな風にも語っている。

「(サンローランが)最も苦しんだときに生まれたコレクションほど、まばゆいものはなかった」――と。

 

イブ・サンローランとピエール・ベルジェの、パートナーの絆・・・

愛する者の苦しみをも愛し続けた、ベルジェの「愛」。そこにこそ、二人の絆の秘密はあるのかもしれない・・・と思ったりする。愛する者の苦しみは、何のためのそれなのか。ベルジェはそれを誰よりもよく知っていて、それゆえにサンローランを愛した、でもあるのかもしれない・・・とも思ったりする。

そしてそんな絆こそが、世界を変えた・・・なのかもしれない、とも。

 

 

 

追記

イブ・サンローランとピエール・ベルジェの愛と苦悩の軌跡を、ベルジェの回想を中心に描いたドキュメンタリー映画『イブ・サンローラン』(2010年フランス)が、日本でも4月23日より公開されている。

 

映画『イブ・サンローラン』予告編

http://www.youtube.com/watch?v=6OZi_py3vzs 
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